大学生の自由研究
連載
最終更新日 2016/11/28

今日のカレー


毎週月曜日更新








第4回(2016年11月28日)


カレーと文体練習①


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1・メモ
 カレー専門チェーン店の中、昼前、まだ混雑していない時間。ニット帽をかぶった20歳ぐらいの男、手足は折れてしまいそうなほどに細い。その男の注文したカレーが運ばれてくる。食べ始める。その男は店員を呼ぶ。辛さが「普通」の割にはカレーが辛すぎる、と言って咎める。机上の「甘口ソース」をかけ、食べきる。
 翌日、名古屋大学駅のホームで、その男をまた見かける。連れの男が彼に「シーフードヌードルよりカレーヌードルのほうがおいしい」と言っている。彼も同意する。

2・複式記述
 まだ正午になっていない昼前の11時頃、わたしはカレーしか売っていないカレー専門の個人経営でないチェーン店にいた。手足の細い、痩せた若い青年がいるのが見えて目についた。毛糸で編んだ帽子のニット帽を頭にはめて被っている。その若い青年は自分がオーダーして注文したカレーを食べ始めて口を付けたあと、店で働く店員に、カレーが辛くて甘みがないと、文句たらたら咎めて苦情を言う。机の上の机上にある「甘口ソース」をかけて注いで、完食して食べきる。
 1日が経った翌日、わたしは名古屋大学にある地下鉄の駅の名古屋大学駅で、その若い青年をまたもう一度、見かけて目撃する。そいつは仲間の友達と一緒に連れだって、しゃべりながら話をしている。連れの同伴者はそいつに向かって、シーフードが入ったカップヌードルのシーフードヌードルよりもカレー味のカップヌードルのカレーヌードルのほうがおいしくて味が良くてうまいと、言って告げている。そいつも賛同して同意する。

3・控えめに
 わたくしは、飲食店にいました。決して体格が良いとは言い切れない一人の青年が、店員さんと会話を交わし、カレーを食べ終えました。翌日、わたくしはその青年を再び見かけました。お友達とカップ麺について語り合っておりました。

4・隠喩を用いて
 太陽が昇りきらぬころ、日本に点在する小さな天竺のうちの1つで、風にゆらぐ1本の葦が口の中に広がる灼熱に悲鳴を上げた。やがて救世主が現れ、火種は消し去られた。
 あくる日、原人の穴倉で、葦は2本となっていた。









第3回(2016年11月21日)


カレーと音楽①


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1971年、あるミュージシャンが「カレーライス」という曲をヒットさせました。今年の6月にがん闘病を公表した彼の、2ndアルバムに収められた曲です。先日放送されていたNHKのある番組では、芥川賞受賞経験を持つあるお笑い芸人が「人生で大切な音楽10曲」の中の一曲として選んでいました。

「君はトントン じゃがいもにんじん切って 涙を浮かべて たまねぎを切って バカだな バカだな ついでに自分の手も切って 僕は座ってギターを弾いてるよ」

歌詞の中ではまず、恋人が包丁で手を切ってしまいました。

「猫はうるさくつきまとって 私にもはやくくれニャァーって うーん とってもいい匂いだな 僕は寝転んでテレビを見てる 誰かがお腹を切っちゃったって うーん とっても痛いだろうにねえ」

その後の歌詞では誰かがお腹を切ってしまいました。ショッキング!

これは1970年11月25日の情景を描いた歌なのです。その日、ある作家が割腹自殺をしました。その事件は日本社会に大きな衝撃をもたらしたとWikipediaは言っていますが、歌詞を書いた彼は寝転んでテレビを見ているぐらいなのでそれほど衝撃を受けていないようです。そして、これと同じような場面が1982年に発行されたある小説に出てきます。

「我々は林を抜けてICUのキャンパスまで歩き、いつものようにラウンジに座ってホットドッグをかじった。午後の二時で、ラウンジのテレビには三島由紀夫の姿が何度も何度も繰り返し映し出されていた。ヴォリュームが故障していたせいで、音声は殆んど聞きとれなかったが、どちらにしてもそれは我々にとってはどうでもいいことだった。我々はホットドッグを食べてしまうと、もう一杯ずつコーヒーを飲んだ。一人の学生が椅子に乗ってヴォリュームのつまみをしばらくいじっていたが、あきらめて椅子から下りるとどこかに消えた。「君が欲しいな」と僕は言った。「いいわよ」と彼女は言って微笑んだ。」

この場面も「カレーライス」と全く同じ1970年11月25日のことです。「僕」にとって、その作家の自殺よりも「彼女」のほうが大事らしいです。「カレーライス」で描かれている雰囲気となんだか似ていませんか。ちなみに、この小説の作者にかぶれてしまっているクソ大学生を叩きのめしたい人がいたら、先日あるメンバーの方が書かれた記事が参考になると思いますよ。

「カレーライス」を歌った彼も、作家の自殺より「君」「猫」そしてカレーライスのことを気にしています。

「君も猫も僕も みんな好きだよ カレーライスが」

「君と猫はちょっと甘いのが好きで 僕はうんと辛いのが好き カレーライス」

おそらく、猫にカレーを与えるのはマネしないほうがいいと思います。

この曲に出てくる猫は「寝図美(ねずみ)」ちゃんという名前で、この曲を作った彼の飼い猫です。「カレーライス」が収録されているアルバムは11曲入りなのですが、なんとそのうち6曲にこの猫が登場します。1曲じゃ満足できなかったのでしょうか。

余談ですが、ミュージシャンで大の猫好きというと、他には「INU」の人が思い浮かびますね。猫なのか犬なのか人なのかよくわかんなくなってきますね。

そして寝図美ちゃんの飼い主の彼が24歳で「カレーライス」を発表してからちょうど30年後の2001年、彼からも影響を受けたあるバンドが「カレーの歌」という曲を発表することとなります。そのバンドは大学生にもとても人気があるので、ピンとくる人も多いでしょう。作詞作曲を担当したメンバーの当時の年齢も24歳でした。









第2回(2016年11月14日)


カレーと恋愛①


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1999年に放送されたあるバラエティ番組の中で、あるお笑いコンビがフリートークを行いました。それはカレーについての話でした。

(以下会話の抜粋)

A「なんなんですか?甘口のカレーってなんなんですか?」
B「いやいや、辛口があるんやったら、甘口もあるやん」
A「いやいや、ノンノンノンノン」
(観客笑う)
A「"カレー"という言葉のなかに、もうすでに"辛い"という意味が含まれとるわけですよね。だから、例えば、"そんなに辛いカレーは苦手だから、普通ぐらいのカレーが好きだ"って言うなら、僕わかるんですよ。だからと言ってね、なぜ甘いまでいってしまうのかが(わからない)。滅茶苦茶な言い分じゃないですか、それって」
B「いや、でも」
A「アカン、だんだん腹立ってきたわ!」
(観客笑う)
A「これはね、こういうことですよ!部屋にバッと飛び込んだときにね、"ちょっとクーラー効き過ぎ。クーラー止めて"って言うならわかりますよ。"クーラー効き過ぎ。暖房に切りかえて"って言ってるようなものですよ」
(観客笑う)
A「でしょ?!」
B「いや、違うやん。調理によっては甘くもなるし、辛くもなるやん」
A「いやいや。例えば、車に乗ってるときに、"スピード出し過ぎてるよ。スピード弱めて"って言うならわかりますよ。"スピード出し過ぎてるよ。バックで行って"」
(観客笑う)
A「でしょ?!もう、僕の前で二度と、"甘口カレー"という言葉を聞かさないでほしい。そんなものは存在しない」
B「ほんなら、"中辛"とかあるやんけ。アレなんやねん」
A「そんなものも邪道なんですよ。"カレー"というのを、"カレー"って言葉を辞書で引けよ!じゃあ!引けばいいが!」
B「なんて載ってるの?」
A「"それはもう、それはもう、ものすごくとろみの、お口いっぱいに広がる……"」
B「《舞台裏のスタッフに向かって》調べてー!」
(百科事典が出てくる)
A「読みぃな」
B「"オールスパイス、調香などを粉末にして混ぜた刺激性の香辛料"」
A「刺激って書いてあるやんけ!刺激が!甘いものを食うて何が刺激があるねん!だから、カレーじゃないんねん、甘口カレーってのは!」
(観客笑う)
A「刺激じゃ、刺激!"甘~い"っていうのが、何が刺激があんねん!」
(B黙る)
A「甘くて刺激があるのは、恋愛ぐらいなもんや
(観客歓声)

(以上)

このAという人物は別の時にこんな言葉も残しているらしいです。カレーとは関係がなくなってしまいますが、紹介させてもらいます。

10組のカップルがいたら10通りの恋愛があると思うやろ、それが違うんやなあ、10組のカップルがいたら20通りの恋愛があるんだよ









第1回(2016年11月7日)


カレーと僕①


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初めてカレーを食べた時のことを僕は覚えていません。別にカレーに限った話ではなくて、初めて油淋鶏を食べた時のことも、初めてブラックサンダーを食べた時のことも、あるいは初めてミラノ風ドリアを食べた時のことも覚えていないのですけれども、それでもこれからカレーについての連載を始めようというのにそれとの出会いを忘れてしまっているというのは、なんだかやるせないです。

例えば、明日あなたが会いに行く人。その人と初めて会った時のことをあなたは思い出せるでしょうか。思い出せなかったとしたら、あなたはどんな気持ちになるでしょうか。たぶん、なんだかやるせない気持ちになるでしょう。

忘れるのはカレーとの出会いだけではなくて、僕は記憶力が弱いから日々色んなことを忘れています。大学生という、たいして勉強をしない人種になってしまったからなおさら知識は減っていきます。ある浪人生が今年一年かけて大学受験に必要な知識を吸収する一方で、僕は今年一年かけて大学受験に必要だった知識を放出します。もしかすると、全人類が蓄えている総知識量は一定なのでしょうか。

初めてカレーを食べた時に僕の中にあった感情を僕は忘れてしまいました。それはもう何をしようと取り戻せないものなのかもしれません。

しかし、僕が初めてカレーを食べたその瞬間、その光景は、仮にそれが15年前のことだったとすると、光として今も15光年先を進んでいます。地球から15光年離れた星で今日誰かが望遠鏡をのぞいて地球を見ます。すると、生まれて初めてのカレーを食べる僕が見えるのです。それはちょっとロマンチックです。そんなことを考えると、何かを忘れるのもそんなに嫌ではなくなってきます。







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