おばあちゃんを感動させたい。
巨大なマグロだったら感動してくれるだろうか。
話はさかのぼります
どうやら僕のおばあちゃんは僕がものすごい魚好きだと思ってるっぽいのだ。
このまえテレビにさかなクンが出ているときに、思い出したように僕の将来の話をされた。さかなクンが僕の将来の話のトリガーになっている。おばあちゃんの中ではさかなクンと僕のイメージがだんだん重なっていっているのではないか。
僕が魚を釣りに行った話とか、魚市場に行った話ばかりしているせいもあるかもしれない。僕が魚関係以外にしょうもないことしかしてないから仕方ないのだけど。(だじゃれみたいな企画を連発しているなんて言えない)
たしかに僕は魚は好きである。でも僕はそんなになまぐさい男ではない。
僕は工作も好きなので、その情熱を伝えたい。
そこで巨大マグロを作っておばあちゃんを感動させようと思い立ったのであった。最後で一気に道を踏み外した感はあるが、今回はこのまま突き進みたい。
巨大マグロで感動させる
というわけで作った。
頭にしたのはなんとなくだけど、いま理由を考えた。
・体だけだとマグロだとわかりにくい
・体だと食べられないと知ったらがっかりしそう
・頭だけならかわいい
体だけだと怖いのに、頭だけだと怖くないのは不思議である。
体だけでも、開いてあると怖くない。それは食べ物だから。
家にあったてきとうなグッズですごい釣り人みたいな写真を撮った。
釣竿はちくわでハゼを釣るようなやつである。
いま見ると安いサオででかいマグロを釣ったみたいですごさが際立っているのではないか。海老で鯛を釣った男だ。
この写真、シチュエーションが全く分からない。庭にマグロの頭があるのもへんだし、でかさもおかしい。
Google画像検索で出てくると気になってリンク先まで行ってしまうやつである。
...これ、巨大マグロを作って感動しているのはぼくだ。ひとりでおもしろがっている。
でも今回はそれじゃだめなのだ。おばあちゃんに感動してほしいのだ。
もう少し冷静になって確認したほうがよさそうだ。
写真だとまだマグロが入りきってないように見える。マグロがでかすぎて実際にまだ入りきっていない。
ここからさらに無理やり押し込む。
公園にマグロ
近所の公園にやってきた。ほんとうは歩いてる人とかに見せびらかして反応をうかがいたかったが、あいにく誰もいない。
田舎なのがばれる。
近所でいちばん大きな建物は老人ホームだ。
ここでいちど客観的にマグロを見ておこう。
日常にとけこむマグロは少し不気味である。
それを溶け込んでいないとも言う。
ただしこれはでかいので、「すごい」とはなるだろう。その「すごい≒感動」ならきっとおばあちゃんは感動してくれるはずだ。
それだとマグロでなくてもいい計算になる。巨大なたわしでもよかったかもしれない。
たわしと書くと新婚さんいらっしゃいを思い出すのだが、たわしはなぜかハズレの定番みたいになっている。ネットで調べてみたら知恵袋で「なぜたわしははずれか」の理論がまじめに展開されて、しかもそれなりに盛り上がっていて少し引いた。ちょっとおもしろかったけどほんとにちょっとだ。
これをみると感動というよりおかしさが出てきてしまっている。
でも感動でなくてもおもしろがってくれればそれは作戦としては成功なのではないか。
巨大マグロをみて笑ってくれてもいいのだ。
苦笑いだった場合は本当のマグロを購入して謝るしかない。当然だが本物のマグロのほうが値段は高い。この巨大マグロはおそらくスーパーのおさしみセットよりも安くできている。
良かれとおもって神社でお祈りをしてきたが、今考えるとバチが当たりそうである。
横の狛犬が怒っているように見えてきた。
そういえばお賽銭も入れていない。
お賽銭というのはもともとはお米とかの収穫物の奉納だったらしいから、巨大なマグロの頭をお供えしたとしても間違いではないかもしれない。景色としてはあっている。
でもこのマグロは張りぼてなので間違いである。
ここ、毎年初詣に行っている神社なのだが、来年から別の場所にしたほうがいいかもしれない。
川原にマグロ
次に川原にやってきた。
川原というと人が走っていたり遊んでいるイメージだけど、人はほとんどいない。ちょっと釣りをしている人がいるくらいだ。
殺風景なぶんマグロが目立つ。
背景が草むらになったことで特撮っぽくなっているが、映ってるやつがおかしい。
もうなにをやってもコメディである。
マグロに足があって、そいつが川原を歩いている。夢じゃないとありえない。夢は夢でも熱が出てるときに見る夢である。
GIF特有の低フレームレート感や圧縮による低画質感が、夢を映像で見ているような感覚に拍車をかけているだろう。
例えばこれがイエティだったら夢ではなくて超常現象の番組で見る映像である。夢になるのは巨大マグロだからだ。巨大マグロは未来のデバイスかもしれない。
仮面ライダーに出てきそう。
陸上だからえら呼吸ができないとか言って数分でかってに負けるやつである。
このマグロ形態(新しい言葉だ)は首で支えている。
このマグロも張りぼてなりに重量があって、ずっとこの体勢でいるとかなり体力を消耗する。ちょっと離れたところに車が停めてあるのでこの場所に来るにもマグロを背負って結構歩いている。
それでこの日かなり疲労して、家に帰って体重計に乗ってみたら体重が5キロも減っていた。
だが次の日に体重計に乗ったら5キロ増えていた。うまいタイミングで体重計が壊れた。機械仕掛けのダイエットである。しかも失敗。
おばあちゃんに見せよう
もう感動とかではないかもしれないが、せっかく作ったマグロだ。おばあちゃんに見せに行こう。
おばあちゃんは畑の白菜を切るための大き目の包丁を持って出てきた。偶然にも要素が解体ショーと同じである。
よく考えたらこれを見て驚くのは当たり前だ。
でも驚いてくれただけじゃない。マグロをみて「すごい」「これ作ったの?」と言ってくれた。しかも「ちょっと!来て!」と言って家の中にいた母の姉を呼んでいた。
僕なんて最近すごくて人を呼びたくなった時なんて、ハルキゲニアという古代生物の頭が実はうんこだった時くらいだ。(最近「ちょっと!来て!」と言ったのは、家で鍋が燃えていてダイニングが煙まみれになっていた時。)
おばあちゃんはマグロを見てうっとりしていたようにも思う。しかもあとあと「一緒に写真撮りたかった」と言ってくれた。マグロと。いい意味でかどうかはともかく、心が動いたのではないか。結局写真は撮らなかったけど。
作ってよかった巨大マグロ
おばあちゃんが気に入っているならプレゼントするのもありかなと思ったが、さすがにそれはという感じであった。
「すごいでしょ」
「うん、すごい」
「ほしい?」
「いらない」
人の作ったものの9割はこれである。(僕はそう。)
たしかに、この巨大マグロはでかすぎて使い道がない。たわしのがまだ使える。見た目ははずれっぽくないのに機能的にははずれなので、たわしと性質がまったく逆である。
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